第53回 知の拠点セミナー
「病気の原因は体質か、生活習慣か? :糖尿病、肥満を例にとって考える」
日時 | : | 平成28年2月19日(金) 17時30分~ |
場所 | : | 京都大学東京オフィス (東京都港区港南2-15-1 品川インターシティA棟27階: アクセスマップ) |
講演者 | : | 泉 哲郎 (群馬大学 生体調節研究所 所長) |
肥満や糖尿病は、生活習慣の長期的な影響により、中年以降に発症することが多く、生活習慣病と言われる。実際、これらは、世界的に急増しており、たとえば日本においては、この50年間にBMI (body mass index)が25以上の肥満者は4倍、糖尿病患者は38倍に増えている。この2世代くらいの間に遺伝子変異を伴う体質の変化が急激に起こったとは考えられないので、急増の原因として、経済的発展に伴う摂取カロリー量の増大、食事内容の西洋化、肉体労働から頭脳労働への変換に伴う消費エネルギーの減少など、環境因子の変化が挙げられている。
しかし、食事内容の量・質や労働環境の変化は、社会全体に起きているのに、特定の人のみ肥満や糖尿病になるのはどうしてであろうか? 実はどの病気も、程度の差こそあれ、生まれながらの体質(遺伝要因)と、生後(正確には受精後)の環境要因の組み合わせによって、発症頻度や重症度が異なってくる。体質とは、たとえば血液型など、個人ごとに異なる遺伝子のタイプ(多型)に基づく表現型の総体を指す。同じ環境にさらされても、体重や血糖値が上がりにくい遺伝要因を持っている人は肥満や糖尿病になりにくい。その反対に病気になりやすい体質でも、節制すれば病気の発症や重症化を防げることになる。
レプチンやインスリンのように、体重や血糖値を制御する重要な分子の場合、たった一つの遺伝子が変異しても、新生児や小児期から肥満や糖尿病を引き起こす。しかし成人期から起こる、通常の肥満や糖尿病では、多種多様の遺伝要因が関与していると考えられる。近年、全ゲノムにわたる遺伝子多型と病気の関連を調べるGWASと呼ばれる大規模な手法で、病気になりやすくする遺伝要因を探し出す研究が盛んに行われている。
一方、後天的な環境要因の研究も進んでいる。メタボリック症候群と言われるように、肥満は、糖尿病や(心筋梗塞、脳梗塞など血管を閉塞させる)動脈硬化性疾患を引き起こす確率を高めることが統計的に示されている。その機序として、余分の脂肪が肝臓や筋肉に異所性に蓄積されることや、肥大した脂肪組織中の脂肪細胞や血球系細胞(マクロファージなど)から分泌される物質が、インスリンの効きを悪くたりし、局所の慢性炎症状態を引き起こすと考えられている。このような代謝産物や生理活性物質による直接的な影響に加え、栄養状態などの環境要因が、DNAやその周囲を取り巻くヒストンという蛋白質のメチル化、アセチル化などの化学修飾を介して、遺伝子の発現レベルを変化させ、生活習慣病の発症や重症度に関わることもわかってきた。このような仕組みを、(遺伝要因である)ゲノムDNAの塩基配列変化と区別して、エピゲノム制御と言う。さらに、肥満者や糖尿病患者と健常者では、腸内に共存する細菌の組成が異なり、このことが病態に影響していることも報告されている。
このように肥満や糖尿病は、さまざまな原因で起きる病態の集合体(症候群)である。病気に対処する最初の方策として、食事摂取量の制限、運動量の増加など、環境要因を改善することになる。病気の遺伝要因や重篤度によっては、生活習慣の改善だけでは対応できず、投薬や注射などの薬物療法や他の治療法(例えば高度肥満に対する胃バイパス手術などの外科療法)を行う。将来的には、遺伝要因を明らかにすることによって適切な治療法を選択するテーラーメード医療や、遺伝子変異そのものに介入する遺伝子治療が行われることになろう。