第36回 知の拠点セミナー

「アラブ革命の時代」

日時平成26年9月19日(金) 17時30分~
場所京都大学東京オフィス
(東京都港区港南2-15-1 品川インターシティA棟27階: アクセスマップ
講演者長沢 栄治
東京大学 東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター
 副センター長/西アジア研究部門 教授)
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 2011年1月、民衆蜂起によってチュニジアとエジプトの長期独裁政権が相次いで崩壊した。そして、この蜂起(サウラ)の波は、瞬時にアラブ世界に広がった。こうして新しいアラブ革命(サウラ)の時代が始まった。この変革の動きを外国のメディアや研究者の多くは、「アラブの春」と呼んで民主化プロセスの進行を期待した。しかし、その後の「春」の展開は、楽観的な見方を大きく裏切るものであった。
 たしかにチュニジアやエジプトのように民主的な選挙が復活した国や、アラブに多い王制国家の中でも、革命の波に対抗するために立憲王制の改革を示したモロッコのような国もあった。しかし、バハレーンでは周辺国の介入によって運動が弾圧され、イエメンでは同じく国際的な仲介による中途半端な政権交代がなされただけで運動は抑え込まれた。一方、内戦状態に陥ったリビアでは国際的な武力介入によって旧体制が崩壊し、その後も無秩序状態から回復していない。シリアでは同じく外国勢力の複雑な介入によって大量の避難民が発生し、多数の犠牲者を出す騒乱が続いている。
 さらに革命後のエジプトでは、民主的な選挙で成立したムスリム同胞団政権が昨年の夏、二度目の「革命」によって崩壊した。そして今年の夏、世界を驚かせたのは、シリアの騒乱状態の深刻化に伴い勢力を拡大したISIS(イラクと大シリアのイスラーム国)という過激派組織が、カリフ制の復活を唱えて既存の国境線を書き変えようとする動きを見せたことである。今から90年前、第一次世界大戦の後に作られた領域国家の枠組みを全面否定しようというのである。このような事態に直面して、現在あるアラブの国民国家が宗派別・民族別に分解していくのではないかという危惧の声も上がっている。
 しかし、今回の新しいアラブ革命は、これまでのアラブ世界での革命がそうであったように、この地域で国民国家の体制が成熟していくひとつのプロセスだと考えるべきではないかと思う。第一次世界大戦期に起きた「アラブの反乱(サウラ)」は、第一のアラブ革命の時代を代表する運動だった。しかし、この運動はイギリスに利用されるだけに終わり、その結果として大戦後に引かれた恣意的な国境線によって東アラブの各国の形が出来上がった。その後、今から60年前にナセルたち自由将校団によるクーデター、エジプト革命(1952年)を引き金として、第二のアラブ革命の時代が始まった。第二のアラブ革命は、第二次世界大戦後の民族解放の潮流に乗って、アラブ世界の統一を旗印に掲げたが、第三次中東戦争(1967年)の敗北によって挫折する。しかし、この第二のアラブ革命の時代を今から振り返るなら、各国で起きた革命や体制改革は、それぞれの国民国家としての成熟を目指す試みであったと見なすことができる。
 現在、進行中のアラブ革命は、この第二のアラブ革命の結果として出来上がった体制がその後、閉塞状況に陥った状況に対し、その変革を求めた動きだと考えることができる。民主化プロセスとはこうした根本的な変革の一部でしかない。「自由と尊厳とパン」をスローガンにした革命の行方は、国際的・地域的な介入と反動の動きが強まる中で、先行きは不透明である。本報告では、これまでの3年半のアラブ革命の展開についてエジプトを中心に振り返るとともに、アラブ現代史の中においてこの革命が持つ意味を検討してみたい。

左:革命時のタハリール広場(2011年2月 竹村和朗氏撮影)
右:革命の要求プラカードを持つ老人(2011年9月 報告者撮影)


革命の殉難者の若者を描いた壁画(2012年3月 報告者撮影)